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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)907号 判決 1976年4月21日

控訴人 大部達也

右法定代理人親権者母 大部和子

右法定代理人親権者養父 大部秀男

右訴訟代理人弁護士 倉本英雄

被控訴人 長山安雄

右訴訟代理人弁護士 会沢連伸

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠は、控訴代理人が当審における控訴人法定代理人大部和子尋問の結果を援用し、被控訴代理人が被控訴本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

理由

一、本件土地が被控訴人の所有であること、控訴人が本件土地上に本件建物を所有して右土地を占有していること、訴外長山文二が被控訴人の二男であり、控訴人の母和子(昭和一四年三月二日生)と結婚し、二人の間に控訴人(昭和三六年七月二九日生)と正洋(昭和三八年一〇月二九日生)が出生したこと、文二が昭和四一年三月一二日交通事故で死亡したこと、昭和四一年三月本件土地につき被控訴人と和子との間に使用貸借契約が成立したことは、当事者間に争いがない。

二、右契約の成立した事情につき判断する。

≪証拠省略≫によれば、亡文二と和子は昭和三六年二月二七日結婚し、当初被控訴人夫婦と同居していたが、間もなく約三〇〇メートルはなれた借家に転居したこと、被控訴人肩書住所には二棟の建物があり、被控訴人夫婦はその一棟で書籍商を営んでこれに居住し、別の一棟に電機器具商の店舗を設けて亡文二と弟省三(被控訴人の三男)が共同経営し、省三とその家族が居住していたこと、文二が昭和四一年三月一二日交通事故により急死したため和子と控訴人兄弟は生活の方法をたてなければならないことゝなったこと、和子が実家の親族らとも相談し被控訴人夫婦の提案をも考慮した結果、和子は再婚しないで和子親子は被控訴人夫婦方に同居して生計を一にし被控訴人夫婦に協力する家族生活をすることとしたこと、これと同時に、被控訴人は居宅の敷地続きである本件土地を提供し、和子親子がその支払を受ける保険金二〇〇万円をもって貸家を新築し、その賃料収入をもって和子親子によって増加する生活費にあてることにしたこと、土地の使用期間については定められていなかったこと、昭和四一年三月中和子親子が被控訴人方に移り家族の共同生活を始めたこと、被控訴人夫婦の奔走により本件土地を整地し保険金のうち金一九〇万九〇〇〇円をかけて本件建物(二棟四戸建)が同年六月三〇日に完成し、他にこれを賃貸したこと、本件建物の所有名義を誰にするかについてはなんらの話合がなかったこと、建築確認申請は和子名義でなされたこと、本件土地の地価が本件建物の建築費よりはるかに高額であること、が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右事実によれば、本件貸借は、和子親子が被控訴人夫婦と同居し生計をともにする家族生活をなし、和子親子の同居によって増大する生活費の補てんをはかる目的で成立したものであって、かゝる共同生活を前提とすることなく被控訴人のみの犠牲において和子親子ないし控訴人兄弟のためにその生活養育の費用の捻出することを目的として成立したものではないとみられる。

三、被控訴人は「貸借の目的が終了した。」と主張する。

和子親子が昭和四一年八月一日被控訴人方を出て他に移っていたこと、和子が同年九月一日本件建物につき保存登記を経由し、昭和四二年一〇月二三日控訴人に贈与を原因とする所有権移転登記を経由したこと、昭和四三年一一月二一日和子が大部秀男と結婚し控訴人および正洋が秀男の養子となったことは、当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、和子親子は昭和四一年三月被控訴人方で被控訴人夫婦と同居し共同生活を始めたこと、和子は二児を持つ二八才の女性として次第にこの同居生活にあきたらなくなったこと、被控訴人夫婦からみて和子の手伝いかたが十分でなく、実家に帰ったり外出したりする時間が長く被控訴人夫婦も不満を抱いていたこと、和子は、文二の死亡にともない日産火災海上保険株式会社から受領すべき保険金七〇万円があったこと、これを省三が文二との共同経営であった電気器具店の負債にあてるため受領して使用したこと、同年七月末に自賠責保険として当初予想された額より多い金一〇〇万円が支給されることゝなったこと、文二の葬儀費、文二が所有していた事故自動車の残代金など事後処理の費用、和子親子の食費、控訴人の保育園の費用など被控訴人が和子親子のために相当の出費をしていたこと、被控訴人夫婦は右金額のなかに親の慰藉料も含まれていると考え右保険金を自己の収入として期待していたこと、和子が保険金(小切手)を保険会社から自分で受領し、これを被控訴人夫婦に見せることも拒んだこと、このため、被控訴人が怒って和子を殴打したこと、これに反発して和子が保険金を持って実家に帰ったこと、和子の親族と被控訴人との間に調整が試みられたが成功しなかったこと、被控訴人は賃料収入が減少するとして反対したが、和子は本件建物は自分の所有であるからといって、同年八月一日本件建物の一戸に鍵をこわして入居したこと、これから以後被控訴人夫婦と和子親子との間には親族としての交際が全く途絶えたこと、被控訴人夫婦は和子親子が目の前に居住しているのでますます感情を害し、また、和子の男性関係がふしだらであると思って立腹していたこと、被控訴人側で和子親子にいやがらせをしたりして、両者の対立は激化するのみであったこと、同年八月中和子が被控訴人に対し本件建物の鍵などの返還を求める調停を申し立てたが不調となったこと、その後和子が看護婦として就職し、その収入と本件家賃収入とで生活をたてゝいたこと、昭和四二年九月に被控訴人が和子を相手方として建物収去等の調停を申し立てたこと、和子が昭和四三年三月に日立市内滑川町に転居したこと、同年一一月二一日和子が大部秀男と結婚し、控訴人および正洋が同人の養子となり、水戸市赤塚町所在の大部秀男宅に居住することゝなったこと、和子は再婚することや子供の養子縁組について被控訴人夫婦と相談せず、知らせもしなかったこと、被控訴人夫婦はこれを他から伝え聞いたに過ぎないこと、前記調停は昭和四五年まで継続したが不調となったこと、被控訴人が翌四六年一月本件訴訟を提起したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右事実によれば、昭和四一年八月一日をもって被控訴人夫婦と和子親子との間にははげしい感情の対立が生じ解決されないまま本件訴訟に発展し、親族としての情誼、信頼と協力関係は全く失われたのであって、その原因は嫁しゅうとという人間関係から生ずる自らなる対立に加え、双方の利害関係がからんで両者の疎隔が生じたのであって、その責任は双方にあるといわなければならない。そして、被控訴人が本件訴訟中昭和四六年二月二五日の口頭弁論期日において解約の意思表示をしているが、当時既に双方の対立関係は解決できない状況にあったことは弁論の全趣旨により明らかである。

そうだとすれば、本件貸借において目的とされていた共同生活と、その収入確保の必要性とは既に消滅してしまったのであるから遅くとも右昭和四六年二月二五日には本件貸借の目的に従った使用収益は終了したとみるほかはない。

四、控訴人は信義則公序良俗違背を主張する。≪証拠省略≫によれば、控訴人の養父大部秀男は借家で酒類販売業を営んでいるが収入が少なく、さしたる財産を保有せず本件建物の賃料収入に相当依存せざるをえない経済状態であることが認められるが、控訴人兄弟の扶養ができず、現在被控訴人にその義務があると認めるべき証拠はない。そして、前記認定事実からすれば、本訴請求もやむを得ざるところであって、右主張は採用できない。

五、以上のとおりであるから、昭和四六年二月二五日本件貸借が終了したとする被控訴人の請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であるから本件控訴を棄却し、民事訴訟法第八九条第九五条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺一雄 裁判官 田畑常彦 宍戸清七)

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